悲しいことに、ついにロシアとウクライナの戦争が始まってしまいました。
最初に感じたのは「とにかく嫌」という嫌悪感。
表現が稚拙かもしれませんがとにかくそう感じたのです。
そして人と人が殺しあうなんてどうしても理解できません。
私は戦争経験者ではありませんが戦争の後に残るのは悲しみだけだと思います。
第二次世界大戦から77年経ってはいるものの、世界のどこかではいつも戦争や紛争が起きているのは事実で、平和な日本にいれば他人事のようにしか感じられない部分があることは否定できないと思いますが、みなさんは今回の戦争をどう感じますか?
感じることは重要です。感じたことに正解も不正解もありません。
「日本人は特に失敗を恐れ、正解を求めようとしすぎる。」とよく言われるように、例えば美術展などに行っても作品に対して素直に感想を言えないらしいのです。
図録を買うのは日本人の特徴で、図録の解説を読んで、ヘッドフォンの解説を聞いて、作品についての何かしらの知識なり、お墨付きをもらわなければ自分の感じたことに自信が持てないのだそうです。
真面目な性質も影響してるのかもしれませんね。図録を買って読むこと自体はすばらしいことです。
海外の場合は図録を買う人は少なく、自分がいいと思ったものはいいと純粋にアートを楽しむのだそうです。
話が逸れましたが、感じたものを受け入れ、なぜそう感じたのかを考えることで自分はそれに対してどう考えるのかを考えやすくなるのかな…と思います。
先日、歌手のMISIAさんがコンサートで「花はどこへ行った」を歌ったという記事を新聞に見つけました。この歌は60年台に世界的にヒットした反戦歌。
MISIAさんが歌ったことも嬉しかったのですが、私はこの記事を読んで急にある記憶が蘇りました。
それは1994年、リレハンメルオリンピックでのフィギュアスケートのカタリナ・ヴィット選手のプログラム。
彼女はこの曲を使い反戦メッセージを込めたすばらしい演技をしました。
84年のサラエボ五輪、88年のカルガリー五輪と二大会連続の金メダリストでリレハンメルの時にはピークを過ぎていましたが、その当時、金メダルを取った思い出の地サラエボがユーゴスラビア紛争により破壊されたことを憂い、演技により平和を訴えたのでした。
ジャンプにミスがあったりして結果は7位入賞でしたが、その表現力はすばらしく金メダル以上の感動を人々に与えました。フィギュアスケートが好きな私は女優のように美しい外見でもあるヴィットが好きで応援していましたが、もう順位なんてどうでもいいと思えるほど演技に引き込まれ、涙が出るほどでした。最終滑走ということもあって場内はものすごい感動に包まれていたのをテレビ越しにも感じたのを覚えています。
私は当時高校生。湾岸戦争の記憶があったものの、やはりどこか遠い国のことで終わってしまっていた私ですが、演技だけでこんなにも人の心を打ち、感動させることができるんだ。反戦のメッセージはどんな形でもできるんだ。と初めて実感した瞬間だったと思います。
「花はどこへ行った」の歌詞の記憶が薄れていたのでネットで調べて読んでいたら昔よりも心が痛くなりました。あの頃よりだいぶ歳も取ったし、感じることが違うのも成長した証と思いたいです。今ならこれを作品にして私も反戦メッセージを発せられるかな… 著作権問題あるから難しいかもしれないですが。
それにしてもいつになったら人間は戦争をやめられるのでしょうか…
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